北海道/札幌で定期開催しているサークル型メンタル自助グループです!

札幌で定期開催をしている「札幌メンタル自助交流会」です。ストレス、生きづらさ、悩み相談、うつ病、発達障害(グレーゾーン含む)、依存症、ひきこもり、PTSD、AC、摂食障害、不安障害などサークル形式で参加が出来る自助グループ(コミュニティ)です。

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メンタル界隈の落とし穴について

メンタル界隈≠当たり前の世界じゃない

メンタル界隈の世界に居るほど麻痺しそうになりますが、自助会の世界は決して当たり前で普通の世界ではありません。

主催者と参加者で作った特別で「完全に近い世界」です。

何故なら、自助会は大原則として生きづらさを抱えている参加者を迎え入れる許容性と多様性が大前提にあるからです。

そのため大変居心地は良いです。

<居心地が良い理由>
・その場に居るだけで認めてもらえるから
・何を言っても批判はされないから
・変わった人扱いをされないから
・仲間外れにされるわけでもないから
・主催者含め皆さんが同一目線で自分の味方になってくれるから
・そのため自分一人だけでないと確認をすることが出来るから
・絶対的な安心感(配慮)のある「完全な世界」だから

上記の要素は自助会の世界では当たり前のことですし、この社会の中にメンタルが疲弊している方に向けて必要な世界の一つ(メンタルのセーフティネット)だと当会はこれまでの開催経験を通して確信をしています。

それでも忘れてはならないのは、そんな自助会の世界は外の世界(社会)から見たら決して当たり前の世界ではないということ。

メンタル界隈の外の世界では「不完全な世界」の中で折り合いと落とし処を見つけながらも大人として、家庭人として、社会人として生きていく。

メンタル界隈ではない外の世界(一般層)は基本的に「不完全であることが当たり前の世界」なのです。

そんな不完全な世界で努力や工夫をしながら一生懸命生きている人は多いですし、そこから生き方を身に付けていくのが大王道な生き方なのです。

大前提は「現実の世界>>>自助会の世界」

何のために自助会という世界があるのか?何のために自助会に参加をするのか?

今一度考えてみてほしいテーマです。

当会の主催代表も含め、参加をされる皆様にも各々のライフスタイル、ライフワーク、ライフステージというものがあります。

その中で元来の「自分が向き合う今やるべきこと」というのが必ずあります。

仕事をする、求職活動をする、勉強をする、本を読む、部屋の片づけや掃除をする、家事をする、趣味を追求する、筋トレや有酸素運動をする、ジムに行く、ダイエットに励む、自分磨きなどなど。。。

その過程(やることをやり続けた)を通して「生活が安定した!仕事が決まった!自信が付いた!メンタルが安定した!生活が充実してきた!友達が出来た!パートナーが出来た!」という成果が出てくるものだと思います。
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【精神医療の現場から派生したのが自助会です】

「自分が向き合う今やるべきこと」と向き合い、現実の世界とメンタルヘルスの世界とを使い分けることを前提に精神医療の現場から発生したものがセルフヘルプグループです。

また「自分が向き合う今やるべきこと」が何かしらの事情(メンタルの疲弊、消耗など)で出来なくなっているために、生きる活力(問題対処、自助効果)を得るためセルフヘルプグループに参加をするというのも元来の形です。

そのセルフヘルプグループから派生されたものが精神医療界外による民間団体によって作られた「自助会」です。
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自助会の派生先であるセルフヘルプグループでは「現実の世界と自助会の世界」を明確に線引きし、使い分けるようにします。

何故なら、先にも書いた通り自助会の世界が当たり前の世界になってしまうと現実の世界に対応出来なくなってしまうからです。


セルフヘルプグループから派生して自助会を名乗って主催するたくさんの団体がありますが、元来の自助会の目的というのは「自分が向き合う今やるべきこと、問題の回復に向けた気付きを得る、生きる力の回復」に向けてステップをするためのツールです。

その元来の目的の軸がブレてしまったら、それは何のための自助会でしょうか?

メンタル界外の世界(一般層)に住んでいる人から見たら界隈の事情や背景が見えないために「自助会=傷の舐めあいの場所」と誤解や偏見を持たれている面が正直なところまだまだあります。

当会では私含め、参加される皆様が各々のライフスタイルの中で前に進むための前向きな場所にしたいと思っています。

それ(自分が向き合う今やるべきこと)が出来れば堂々と自信を持って日常を生きれるからであり、自助会としての元来の目的がブレてしまったら、それはもう自助会と呼べるものではないからです。

メンタル界隈(自助会)の落とし穴と究極の課題

上記に書いたことを踏まえたうえで「居心地の良いメンタル界隈」に通いつめた先にある落とし穴として、

「自助会(メンタル界隈)の世界>>>現実の世界」と逆転してしまうことに私は危惧しています。

自助会に参加をする目的を履き違え「自分にとって現実の世界=メンタル界隈そのもの」になってしまうことを大変懸念しています。

このメンタル界隈の<居心地が良い理由>を先に書きましたが、この世界を中心にしてしまい長らく浸かっていくと、この世界でしか生きることが出来なくなってしまう危険性があるからです。

世の中は決して甘くなく不完全な世界であることが当たり前なのに、メンタル界隈の世界が当たり前の中心になってしまうと、努力をせず自分に都合の良い甘い世界でしか生きられなくなってしまいます。

何故なら私(主催代表)も含め人間は弱いので、現実を無視(逃避)して「やることをやらず」この世界に浸かってしまうと、少しずつ楽な方へ楽な方へと流されてしまうからです。

自助会の世界を含むメンタル界隈では何でも配慮をして貰えて、優しい(甘い)ことを言ってもらえるので、やがてそれが当たり前の世界だと錯覚するようになってしまうからです。

例えばですが、高いお金と時間を使ってホストクラブやキャバクラに行くと幾らでも甘い言葉を囁かれ都合の良いことを言って貰えて良い気分にさせて貰えます。

そして通い詰めた先にある末路は現実とのギャップがあるほど虚しくなり、堕落した生き方と破滅に向かっていきます。これは何となく想像頂けるかと思います。

他の例えでいうと、スポーツ選手で自分の才能に頼って練習(やること)を疎かにしてダメになった人を私は何人も見たことがあります。

他にも私は婚活交流イベントをやっており、過去200回以上の現場と述べ1,000人以上の活動者を浅く深く見てきましたが、例えば自分の見た目や若いことに頼って努力をせず楽をしてきた人の末路は大抵ろくでもないということを実際に見てきた経験を通して私は知っています。

スポーツの件といい、婚活の件といい、開花しなかった両者に通じているのは共に「言い訳のプロ、自分に嘘を付くプロ、ごまかすプロ、自分を正当化するプロ」なため、ある一定以上からは伸びなくなるのです。そして困難と挫折に対面した際にメチャクチャ弱い(逃げる)という特徴を持っていました。

上記は少しだけ極端な例だったかもしれません。

話を戻して、元来のやることをやらないで、このメンタル界隈だけでしか生きられなくなってしまった先にあるものは具体的に何か?

・生活保護で生きていかざる得なくなる
・障害年金を受給して生きていかざる得なくなる
・実家(親)のお世話になって生きていかざる得なくなる

最終的に行きつく先はこれしかなくなると思います。そして誰だって最初からそれを望んでいなかったはずです。

もちろん上記の生き方を否定するわけではありませんし、私(主催代表)を含め誰にでもその状況になる可能性は隣り合わせです。

それに生活保護や障害年金を受給しても実家暮らしでも、そのライフスタイルの中でキチンとやることをやって自分と向き合っているのなら、それは立派な生き方だとも思いますし実際にそんな人も知っています。

他にもこの世界(メンタル界隈)で生きていくことが中心になってしまう弊害として、

・自分に都合の悪いものは全て聞き入れない性質になってしまう
・そのため反省や自己分析が出来ず成長をする課題を見つけられなくなってしまう機会損失
・だから常に「何かのせい」「誰かのせい」にするしかなくなる
・そしてメンタル界隈、自分の世界、ネットの世界でしか生きられなくなってしまう
・優しさと甘さを履き違え、自分に都合の良いマインドに慣れてしまうため、不都合な現実に対して自分を正当化する(自分に噓をつく)プロになってしまう
・そのため物の良し悪しが麻痺して本当にわからなくなってくる
・究極は人を●してしまっても自分を正当化出来るんだろうなという人を私(主催代表)は何人か見たことがあります

そんな人間を育むために自助会を開催しているわけがありませんし、そんな人間ばかりが育つ自助会なら無くていいと私は思います。

そして自助会の世界でもトラブルを起こすのは決まって上記のタイプだと聞いていますし見たこともあります。

もちろんこれも私にとって他人事ではなく、自分含め誰にでも陥る可能性があるものだと思っています。

ここまで随分とオブラートに包まない厳しい言葉と表現で書いたかもしれません。不快にさせて本当に申し訳ありません。

しかしメンタル界隈で甘く優しいことを幾ら言われて肯定をされようと、誰もその発言の責任までは絶対に取ってはくれません。

どの世界でも最終的に自分の人生に責任を持てるのは自分以外にありえません。自分にとって都合の良い楽な方に流された先にあるものを深く考えてください。


キチンと現実の世界と自助会の世界を使い分けていなければ、方向性次第ではとんでもないことになってしまう事例を主催者として何度か見たことがあり、そこに危機感を以前から抱いていたため、この話が理解頂けない方からは嫌われても全く構わない覚悟で今回は真剣に書かせて貰いました。

「メンタル界隈での甘さと優しさの折り合いと着地点」は実際には難しいところですが、これはメンタル界隈における究極の課題ではないかと私は思います。

上記に書いてきた長い文章が一人でも多くの方に刺さることを願いつつ、改めて自分にとって「自助会に参加をする目的」を考えてほしいと思っています。

そして主催をする方にとっても私含め今一度、精神医療の世界(セルフヘルプグループ)から派生した自助会の元来の目的を定期的に見つめ直して欲しいとも思います。

 
札幌メンタル自助交流会 主催代表

最後に

上記に書いたことをどう感じるかは読み手次第かと思います。

胸に刺さって真剣に考えてくれた方もいれば、不快に感じたり腹が立った人も居ると思います。

間違いなくメンタル界隈にとってタブーなことを書いた自覚はあります。

何故ならB型事業所のスタッフなどメンタル界隈で働く人でも、上記に書いてたことは思っていたとしても言えないことだからです。だってそれで飯を食べている人達であり、自分の立場(勤め人)がある人達だから。

上記に書いてきたことは厳しい表現にはなったかもしれませんが、決して悪口でもありません。

自助会の世界で甘いことだけを言って貰えるわかりやすい優しさと、キチンと本当のことを言って貰えるわかりにくい優しさの違いかと思います。

自助会だけの優しさと甘さに浸って流されてしまった実例を主催者目線から何度か見たことがあり、その危機感から今回はオブラートに包まないハッキリとした表現でメンタル界隈における優しさと甘さのリスクをハッキリと書いたつもりです。

オブラートに包んだ表現だけではわからない人もこの世界には一定数居るとわかったからです。

甘いことを言うだけなら誰でも出来ますが、誰かが何処かでハッキリしたことを言わなければ正常な調和が取れないこともあるとわかったので今回この記事を書きました。

是非考えてみてください。お願いいたします。

 
札幌メンタル自助交流会 主催代表